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見上げるほどに高い意識を持ってい た20代前半とダメな自分を認めることにしたアラサー

最近色々なことを頑張れなくなったなと感じています。 なんでなんだろうなぁ。。。うーん。 ポツリポツリ、ダラダラと書いていこうと思います。

見上げるほどに高い意識を持っていた20代前半

社会人になりたての頃は見上げるほどに高い意識を持っていたなと振り返る。

まず説明しなければいけないことがあって、筆者は学生時代から朝型だった。 大学まで1時間30分かかっていたが、8時40分から開始する大学の一時限の講義に寝坊などを理由として一度も遅刻をしたことはない。環境サークル!国際サークル!特撮サークル!教職!など様々なことにエネルギーを費やしていた。 必要な大学の単位を取り終わった後は、バイトも朝を選択しており毎朝5:00に起きて7:00-10:00にアルバイト。アルバイト終わりに大学の講義や研究に参加する日々を送っていた。要は典型的な朝型だったのだ。

社会人になってからも、朝方の体質は功を成した。 新卒時に入社した企業の始業時間は当時8:30だったので、5:30、6:00に起きると始業まで単純に暇だった。 電車遅延による遅刻を回避するという目的もあり、朝の7:30には会社近くのマックに入りビジネス本や技術本を読む、資格取得を目標に勉強をするという日々を過ごす。 そんな折、たまたま帰宅する時間が一緒で、駅まで一緒に帰った当時の副部長のアドバイスで会社のオフィスに朝7:30に入り勉強することが許可された。これは非常に嬉しいことで毎朝席代として払っていた100円のマックコーヒーを買う必要がなくなった。

また、朝だけでない。 次第にランチの必要性を感じなくなり、昼休みも昼飯を食べる癒しの時間ではなく、自己研鑽のための勉強をする時間になった。朝と昼だけに飽きたらず業務終了後も勉強時間になった。経緯は省くが、入社1年目の筆者は当時の部長により残業が禁止されていた。業務後の時間もプライベートの時間として勉強に充てることができた。非常に幸運だった。

これらの行動原理は、劣等感からくるものだったと振り返る。 学生時代筆者は何もない空っぽの学生だった。 よく言えば、周りから言われたことをスポンジのように吸収する素直さを持ち合わせていたが、全てにおいて他人譲りのものであり、筆者自身の考えは皆無に近い。唯一持っていた筆者自身の考え(個性)は真面目な部分のみであったと振り返る。 大学入学時に受験勉強などをせず、これといった知識を持ち合わせていない。そんな虚空だったかもしれない学生生活を送っていたからなのか、社会人になって周りを見渡して全てに劣っていたと感じ激しい劣等感を感じざる終えなかった。 情報科出身であるにもかかわらず技術的な知識は皆無であり、圧倒的に周りに遅れをとって非常に焦りを感じたのを覚えている。 そんなこんなで20代前半の自身のストイックさは、劣等感からくるものに他ならない。

はぁ・・・20代前半はただただ見上げるほどに高かった自身の意識の高さに自分自身戦々恐々している。。。

頑張れなくなった自分。劣等感から好奇心への変換が迫られる30代。

最近、自己研鑽をする心のガソリンがなくなっていると感じる。 自身を前に進めるためのエネルギーであるガソリンが足りず、ガス欠になり、アクセルをいくら踏んでも前に進まない状況である。

朝早く起きてもひたすらSNS閲覧やネットサーフィン、スマートフォンゲームで時間が過ぎていく日がたまにある。スマートフォンは害悪だなぁと、スマートフォンを一方的に悪者にしている自分がいることに驚愕する。

そんなことを気にしている折、 Twitter で興味深いツイートを発見した。

上記ツイートを発見した時、確かに20代は劣等感をエネルギーとして、自己研鑽に励んでいたと振り返った。非常に納得し、首がちぎれるかと思うくらい首を縦に振った。 なにせ"何も"なかったのだから。周りに対する劣等感しかなかった。当時は自身でも気づかずに劣等感をバネにひたすら自己研鑽を行っていた。新卒の会社から去った後も、同年代のエンジニアに負けないために、唯一の個性を発揮できるエンジニアになるために、ひたすら自分自身が抱いた劣等感と戦っていた。

何と闘っているかわからず、何と争っているかわからず、ただただ頑張り続けていた。 しかし前述した通り劣等感からくる勉強意欲には歳をとるに経て限界を迎えたのだと自覚した。 理由は劣等感がある程度満たされた体と考えている。 流石に8年も経つと、学歴による偏見で足切りされる機会が少なくなり、技術力も身についたことから一定の評価を周りから得られるようになった。

30代は好奇心をバネにできる人が強い。 同じような好奇心がバネになるという言葉を筆者は、色々な媒体で聞いたことがあるので好奇心がエネルギーになるのは正しいと考える。

じゃあ現在、30代を迎えようとしている筆者が好奇心をバネに20代前半ほどのストイックな自己研鑽をできているかどうか問われると答えは、否だ。 間違いなく、20代前半と比べて自己研鑽する時間は減っており、熱意も減っている。 頑張らなければ自己研鑽をする方向に心が動かない。 好奇心からくる行動原理で「頑張る」という単語は登場しないはずだ。 頑張るという言葉を発するたびに自身の社会人やエンジニアとしての未熟さを痛感する。

とはいえ、好奇心なんて”頑張ること”で、芽生えてくるものではない。 また、今別にIT技術に対して興味が全くないわけではない。 全く興味がなければ、転職を繰り返し、新しい環境に身を置くなどの決断はしない。 今はただ好奇心のエネルギーが溜まりきっていないだけ。 自身の心の思うままに生きることを心掛けることで、自分自身の欲求に素直になり、即行動、実現できる。 また、好奇心が芽生えた時に素早く行動に移せるように、今はダラダラとアンテナの範囲を広げて、行動をする準備をしようと考えている。

ダメな自分を認めることを覚えたアラサー

コロナ前。コロナが流行しだす2020年の1月や2月頃のお話。学生時代に非常にお世話になった先輩とお酒を飲む機会があった。 大学時代に所属していたサークルの先輩だ。筆者が1年生の時の4年生。 後輩と接する態度や学生時代のサークル人としてのマナーなど沢山の大切なことをその背中から教わった。

久々にお会いした先輩にかけてもらえた言葉として「ダメな自分を認められるようにした方がいいよ」と言ってもらえた。正直、この言葉には非常に救われている。 筆者は根本的には真面目である。真面目が祟り、自身が決めた目標を達成できない時は非常に落ち込んでしまう自身がいることもうなづける。

だからこそ休日に10:00まで寝て貴重な休日の時間を無駄にした自分を認めることにした。 毎朝6:00 からのオンライン英会話に寝坊したとしても、一切自分自身を責めず「しっかりと休養をとれた。日中の業務では力を発揮できる」とプラスの方向に持っていくことができるようになった。(講師の方には非常に申し訳ないと思っています。ごめんなさい。) 毎朝行っているジムも、雨が降ったからといってサボっても良いことにした。 ただただお酒と美味しいものを食べて一方的に腹囲の数値が増えることも許容している。社会人としての成長が鈍化しているにも関わらず、お腹周りだけが日々急速に成長していくことは悩みのタネでしかない。

そんなダメダメな自分も1人の自分として認めることにしよう。 好奇心を持てずに勉強に思うように励むことができない自分がいることも認めることにする。 何も焦る必要はない。なんならこれ以上頑張る必要はないのかもしれない。それでもおそらく筆者は頑張ると思う。 人生100年時代。まだまだ先は長い。ただひたすらに長い人生に絶望しつつ、これからもダメな自分を認めつつただひたすらに歩んでいこうと思う。