ばぁど・うぉっちんぐ

セキュリティに強いWeb屋。自由と春を求めて羽ばたく渡り鳥。

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30代になる前に描いてみたモチベーショングラフ-ダメダメエンジニアの成鳥日記-

どーも。ばぁどです。 なんか成鳥成長っていう単語、やけに学生時代に使っていたなと思っていて、なんか当時の他団体の方に「成長の先に何があるの?」ということを聞かれて何も回答できなかった筆者でございます。

今回は前回の学生編に続き社会人編の振り返りです。

学生編(①~⑦)はこちら

ultrabirdtech.hatenablog.com

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8. 新人研修でJavaを学ぶの巻

筆者が最初に入社した企業は独立系・受託開発会社でした。規模は中小企業です。 内定をもらった学生時代の7月、8月頃から内定者研修として週に一度本社に通いJavaSQLを学んだ記憶があります。 当時はJavaの資格やSQLの資格も取得が義務付けられており、非常に忙しい日々を過ごしていた思い出があります。

入社した4月から本格的に業務で必要なJavaを学んでいきましたが、富士山の麓で行われている地獄の合宿に参加したり、サークル活動で培ったリーダーシップを発揮しつつも技術力が全く追いつかない辛い日々が続いたなと記憶しています。 初期の頃はエンジニアの本質の力である技術力が足りていないにもかかわらず、リーダーシップとかExcelの資料を作るのが上手いとか小手先の力で「なんかできている風」が出ちゃうのは個人的に今でも抱えている反省点の一つです。本来は本質的な力である技術力を伸ばさなければいけない時期に、小手先の力でできている風になっちゃうのはエンジニアとして本当に求めていない結果であります。

業務で必要な技術力が追いつかないこともあり、非常にモチベーションが下がる日々が続いていました。

9. エンジニア人生の転換期

エンジニア1年目で転機が訪れます。 当時、部門長であった上司の直属の案件にアサインされることになりました。 この案件でエンジニアとして必要な技術力をどのように学ぶかなどの基礎を叩き込まれました。 筆者が初期の頃愛用していたRubyに出会ったのもこの時期です。(最近はもっぱらPythonですが・・・)

部門長であった上司の多大な影響を受けた結果、筆者は朝7:30には会社のオフィスに出社し始業開始の8:30まで自主勉強をする日々を送ることになりました。昼休みもお昼ご飯を食べずにひたすら勉強という非常にストイックな日々を送っておりました。 まぁ、これもそれもそもそも技術力が備わっていない筆者の未熟な部分をカバーしようともがきにもがいた一つの結果だったのかなと振り返っております。 ちなみに筆者は朝方の人間だったので、毎朝5:30などに起きていたので7:30に会社にいるのは造作もないことでした。

また朝の時間だけではありません。 残業も禁止された上で、定時に仕事を切り上げて業務後の時間も勉強に充てることになりました。 なので、朝の7:30-8:30の1時間、昼休みの1時間、業務を切り上げて帰宅した後の7:30から就寝までの時間全てを勉強の時間に当てることができました。また、土日の時間も同様です。一刻も早く一人前のエンジニアになるためにただただがむしゃらに勉強を続けた日々が続いたと記憶しています。

今の技術力があるのは、1年目、2年目の頃のこのがむしゃらな努力が実った結果だったのかなと思います。

10. 派遣先でクビを切られたお話と自信を取り戻すまでのお話

そんな技術力が発展途上であったとある日事件が起きます。 詳細は書きませんが、2年目の冬に派遣先であった案件で紆余曲折あり、案件のクビを宣告されました。

今振り返ると確かに自身は技術力が不足していたり、プロジェクト全体に大きな影響を与えてしまったりなど大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。この出来事は、当時の筆者のメンタルに非常に影響を与えており、エンジニアとして自信喪失し、何をやっても上手くいかない日々が続きます。

今の筆者なら、有給とってリフレッシュとか、休職とかも選択肢に入れて考えたりするのですが、当時はそんな考えも思い浮かばず、ダメなメンタルをずっと引きずってばかりでした。

しかし、この後アサインされた案件が非常に良い案件であり、そこでエンジニアとしての成果を確実に出すことができ徐々にエンジニアとしての自信を取り戻していくことになります。フレンドリーな会社の先輩と2人で約2年近く一緒に働いたのを覚えています。筆者のエンジニア人生の中で2回目の非常に貴重な時期でした。身近な年齢で常に目標となる方がそばにいてくれることは非常に貴重です。

また、この時期が一般的に言われるプロフェッショナルになるための10,000時間を超えたあたりだったのか分かりませんが、社会人3年目の後半からエンジニアとしての仕事も急に楽になったなと感じております。

ちなみにこのブロックは転職面接時の「挫折した経験とそれをどう乗り越えたか」を話す時の鉄板ネタです。

11. 情報処理安全確保支援士の合格

1年目、2年目の頃から続けた勉強が功をなしたのか、社会人4年目という比較的早い段階で高度技術者試験の一つであった情報処理安全確保支援士の試験に合格します。 当時初めてできたIT系の仕業(弁護士とか税理士みたいに名乗れる)だったので、すごい嬉しかった思い出があります。

こういうのにすぐに感化されちゃうのが、筆者の悪い癖です。 情報処理安全確保支援士として登録して、すぐに名乗りたくなっちゃう。 ただ、この仕業というのが非常に厄介で情報処理安全確保支援士になっておきながらサイバーセキュリティの仕事に従事していなかったんですよね。だからこそ、情報処理安全確保支援士としての試験は突破して名乗れるようになったものの、情報処理安全確保支援士として何か仕事ができるかというと大きな”はてな”が浮かびます。

12. 転職って難しい

Webアプリケーションを開発できる人材は世の中に沢山います。 社会人5年目になると、社外の人との差別化も必死にはかりたくなるお年頃でございます。

そんな中、学生時代から知り合いである方が経営している会社から転職のお誘いを受けて転職。 半年で辞める形となってしまいましたが、1社目から旅立つきっかけを頂けたのは非常にありがたいことでした。

この頃に前項で書いたサイバーセキュリティの道へと進む決心がつき、本格的に行動にうつすことになります。

13. 昔取った杵柄ってあるんだなぁ

2度目の転職をしてSESでしたが、現場が非常に面白い現場でした。 サイバーセキュリティの講師をやる必要があり、筆者学生時代に学んだ教職(人に何かを教える技術)が役立ちました。 人に何かを教えるということは、自分自身の理解も重要であるので自身も勉強をしながら、何かを教えていくというのは非常に大変でしたが、なんとか乗り切ることができました。

14. メンタル崩壊&コロナ禍へ突入

プライベートで少しメンタルが崩壊するような出来事があり、コロナ禍にも突入し、あまりメンタルが安定しない時期が続きました。 誰かに相談しようとも「人に会うこと自体が否」とされており、非常に辛い日々を過ごしました。

仕事面はギリギリ順調でしたので、なんとか立て直すことはできました。 年末の評価でも”社長賞”といった表彰もしていただきました。 会社や部門からの表彰は、1社目の頃から毎年何かしらの形で表彰していただいているので、そういった前向きな行動は引き続き継続していきたいと考えております。

15. 3度目の転職をして今

より本格的にサイバーセキュリティを仕事にするために3度目の転職になります。 仕事もWebアプリケーション開発者から脆弱性診断士/セキュリティコンサルタントと様変わりしております。

ベースとなるITの知識は一緒ですが、Webアプリケーションを作る側と、守る側という全く別の視野が必要なことから、色々と苦労している最中でございます。ただ、あまり本格的に両者の経験を持ち、開発と守る側の視野を持ち合わせたエンジニアはいないはずなので、そういった市場で活躍していけるようにひたすら努力です。

しかし自身が選んだ道とはいえ、30代の今になって技術の学び直しはお勧めしないです・・・マジ辛い苦笑

本当は同時期に大企業様のWebアプリケーション開発枠の内定もいただいていたのですが、結局は選んだのは自分の責任。 まぁJavaっていうのがあまり魅力的じゃなかったし、業務内容もちと辛かったからなぁ・・・これがRubyとかPythonで別業務だったら、間違いなく選んでいましたね。

まとめ

もう少しゆっくり振り返ろうと思いましたが、勢いで振り返ってしまいました。

あまり過去に縋り付くことなく、今の現実を受け入れて、30代をどう過ごすか、どう行動していくかを考えていこうと思います。